1946年~1961年 精神を病み最期へ

事故をきっかけに、精神を病み最期へ  1946年~1961年 前妻と同じジャーナリストであったメアリ-・ウオルシュと4回目の結婚

1946年(昭和21年)47歳
4月にメアリ-・ウオルシュと四度目の結婚。
1947年(昭和22年)48歳
戦時法動員としての活躍に対して「ブロンズ・スタ-」勲章が授与されました。
1948年(昭和23年)49歳
キュ-バでの執筆活動に専念。 11月に『武器よさらば』特製本5300部が出版される。
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1949年(昭和24年)50歳
新妻メアリ-とヨ-ロッパ旅行。イタリア滞在中に銃の暴発による銃弾の破片で眼を負傷し、一時は失明するかも。と危ぶまれました。
1850年 (昭和25年)51歳
雑誌「コスモポリタン」2月号から6月号にかけて小説『河を渡って木立のなかに』を連載。9月に単行本として75000部を出版。創作活動では約10年の空白を経て発表された作品でしたが批評家には不評。また『持つと持たぬと』が映画化(邦題は『破局』)されました。
1951年(昭和26年)52歳
4月に中編『老人と海』を脱稿。6月に母親グレ-スが死去しましたが、ヘミングウェイは葬儀には参列しませんでした。
1952年(昭和27年)53歳
雑誌「ライフ」9月1日号に『老人と海』を全文掲載。タイミングを合わせて9月8日には単行本も出版。老漁師サンチァゴの三日間に渡る大マカジキとの闘いを描いたこの作品でピュ-リッツア-賞を受賞(発表は53年になって)。『キリマンジャロの雪』(ヘンリ-・キング監督、グレゴリ-・ペック、エヴァ・ガ-ドナ-主演)が映画化。
1953年(昭和28年)54歳
夏よりメアリ-夫人とスペイン、アフリカ狩猟旅行にでかけました。そんな時、ちょうどコンゴ地方でマウマウ団の反乱が勃発し、「ルック」誌特派員として取材報道のため12月にはケニヤに移動。
1954年(昭和29年)55歳
1月にウガンダのナイル河上流で飛行機墜落事故。当初は死亡と報道されたが一命はとりとめましたが、頭蓋骨裂傷、全身火傷、脊髄損傷、内臓破裂という重症を負いました。この事故以来、肉体的頑健さを回復できることはありませんでした。同乗していたメアリ-夫人も肋骨骨折で重傷でした。
4月には米国アカデミ-賞受賞。10月にはノ-ベル文学賞も受賞したが怪我が回復しなかったため、ストックホルムでの授賞式には参列しませんでした。
1955年(昭和30年)56歳
リハビリも兼ねて、キュ-バでの生活を満喫。
1956年(昭和31年)57歳
前年と同じくキュ-バにて、酒と釣りと執筆という生活を送っていましたが、秋から始まった映画『老人と海』のロケにも参加するようになりました。
1957年(昭和32年)58歳
秋よりパリ時代を回想した遺作となる『移動祝祭日』の執筆開始。「アトランティック・マンスリ-」誌11月号に短編オムニバス『二つの闇の物語』を発表。『日はまた昇る』(ヘンリ-・キング監督、タイロン・パワ-、エヴァ・ガ-ドナ-主演)の映画化と『誰がために鐘は鳴る』の再映画化ロケが始まります。
1958年(昭和33年)59歳
『老人と海』(ジョン・スタ-ジェス監督、スペンサ-・トレイシ-主演)、『武器よさらば』(チャ-ルズ・ヴィドア監督、ロック・ハドソン、ジェニファ・ジョ-ンズ主演)が映画化。体調はあまりよくない中、スペインの闘牛見物で過ごすことが多かった頃。
1959年(昭和34年)60歳
キュ-バ革命が勃発。始めは革命の闘士フィデル・カストロの立場にとても同情的でした。しかしキュ-バの知識人亡命や対米関係悪化に伴うアメリカ資本の撤収の動きにヘミングウェ-自身このままキュ-バでの生活が続けていけるか不安が高まります。夏に夫婦でスペイン各地の闘牛を見て回るが視力がひどく弱り、ノイロ-ゼ気味になりました。秋には狩猟目的でアイダホ州サン・バレ-に滞在。ここでメアリ-夫人が右腕に重傷を負ったことやヘミングウェイ自身も健康を崩し、ノイロ-ゼ症状がますますひどくなります。
1960年(昭和35年)61歳
メアリ-夫人の回復を待って一時ハバナに戻ります。5月15日にそれまで毎年開催されていた国際トロ-リング大会「ヘミングウェイ・カップ」で個人優勝したフィデル・カストロ首相を祝福し親交を深めましたが、結局キュ-バを脱出することにしました。それ以降、キューバの地を踏むことは、二度とありませんでした。アイダホ州ケチャムに住居を移しますが、キュ-バの豪邸とは大きく違い、コンクリ-トの巨大な箱という城塞でした。雑誌「ライフ」9月号から二人のライバル関係にあるスペイン人闘牛士を扱ったノンフィクションのルポルタ-ジュもの『危険な夏』を三回連載。健康悪化のため、11月30日にはミネソタ州ロチェスタ-市メイヨ-・クリニックに入院。糖尿病と高血圧の問題もありましたが、治療の中心はノイロ-ゼ治療。
1961年 (昭和36年)死去 享年61歳
1月に退院後、未完成の『移動祝祭日』を書き進めていきますが、4月末に再度入院。6月に退院が許され、アイダホ州ケチャムの自宅に帰った翌日7月2日午前7時30分頃玄関応接間で死亡。発表では、猟銃の手入れ中の暴発による頭部損傷の事故死と言われていますが、父親と場合と同じく、銃による自殺ではないかと知られています。残り20日後となっていた62歳の誕生日をついに迎える前の死去となりました。遺骸はケチャム墓地に埋葬。また遺言でキュ-バにあったラ・ビヒーア邸はキュ-バ政府に寄贈され、現在はヘミングウェイ博物館として蔵書、書斎、タイプライタ-、写真、手紙、動物剥製などが保存管理され一部一般公開されています。
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