1940年~1945年 キューバ

生活の拠点をキューバへ 1940年~1945年 ジャーナリストのマ-サ・ゲルホ-ンと3回目の結婚

1940年(昭和15年)41歳
3月に戯曲『第五列』がニュ-ヨ-クで公演されます。6月に戯曲『第五列』のみの別刷り1200部を出版。10月に、スペイン共和国軍への連帯の意義や義勇兵として参加した他国兵の自己犠牲の精神を数日間の戦闘場面に凝縮した『誰がために鐘は鳴る』が出版され、この本はみるみるうちに75000部を売り、翌年4月までの6か月で50万部を売る大ベストセラ-になった。11月にポ-リ-ンと離婚。マ-サ・ゲルホ-ン(ジャーナリストとしては、ヘミングウェイよりも優秀と評判高い)と三度目の結婚生活を始める。
書を捨てよ、町へ出よう
1941年(昭和16年)42歳
6月に日中戦争報道特派員として妻マ-サと中国およびアジアを取材旅行。ハバナ市郊外のサンフランシスコ・デ・パウラの高台にある敷地15エ-カ-に及ぶラ・ビヒーア邸を『誰がために鐘が鳴る』で手にした印税で購入し、帰国後キューバへ移住。フィンカ・ビヒーア(見張り農場)と名付けたこの家から愛艇を係留したコヒーマルの海岸やハバナ市内を往復した。12月8日に日米開戦。
1942年(昭和17年)43歳
夏までにトロ-リング用愛艇ピラ-号を武器弾薬を搭載出来るよう改造し米海軍に提供。1944年4月までキュ-バ沖に侵攻してくるドイツ潜水艦(Uボ-ト)の哨戒任務に9名の乗組員と共に従事。10月に企画もの「戦争文学選集:戦う男たち」の編集・出版作業にあたる他、1500部限定出版の特製本『誰がために鐘は鳴る』も出版。
1943年(昭和18年)44歳
妻マ-サは「コリア-ズ」戦時特派員として渡欧、45年まで各戦地を移動取材。ハリウッドで『誰がために鐘は鳴る』(サム・ウッド監督、ゲイリ-・ク-パ-、イングリッド・バ-グマン主演)が映画化される。
1944年(昭和19年)45歳
4月に妻であるマ-サに会うためもあってヘミングウェイも妻と同じく「コリア-ズ」誌特派員となりイギリスへ渡りますが、すれ違いで会えませんでした。イギリス空軍付き報道員とまりますが、5月にロンドンでの自動車事故で頭部に負傷。しかし6月にはノルマンディ-上陸作戦に随行してフランスに渡り、所属を変えてフランス人のゲリラ軍に入り、パリ奪還作戦に必要な情報収集任務に就きました。8月にパリが連合軍の手に戻る際には正規軍より先にパリに入り、さらにドイツとの国境線(ジ-クフリ-ト・ライン)まで行ってしまったため、9月には「ジュネ-ブ協定戦時非交戦者安全服務規定」違反の容疑で調査を受けます。11月には再び戦場に赴き、ユルトゲンの森の激戦に参加。12月にはルクセンブルグに戻り、ここで実弟レスタ-と再会を果たす他、雑誌「タイム」の女性特派員メアリ-・ウオルシュとの愛が芽生えたのもこの頃です。
1945年(昭和20年)46歳
3月に帰国。5月にドイツの無条件降伏、8月には日本の無条件降伏をもって第二次世界大戦も終結。12月、ヘミングウェイも3回目の離婚。『持つと持たぬと』(邦題「脱出」ハワ-ド・ホ-クス監督、ハンフリ-・ボガ-ド主演)が映画化。
名作にまどろむ