キリマンジャロの雪

2011年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門正式出品作品。『キリマンジャロの雪』(原題 LES NEIGES DU KILIMANDJARO) 2011年 製作国 フランス

人に対する思いやりや助け合いの精神の重要さを描いたドラマ。フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーの長編詩をモチーフに、思わぬ犯罪に巻き込まれた熟年夫婦が失意や怒りを感じながらも、ある決断を下すまでを描いています。監督は、『マルセイユの恋』のロベール・ゲディギャン

港町マルセイユの埠頭にて。青い作業着を着た男たちが並んでいました。ミシェル(ジャン=ピエール・ダルッサン)が労働組合委員長を務める会社も人員削減を余儀なくされ、労使間の協議で20名の退職者をクジで選ぶことになったのです。ミシェルが次々と名前を呼び上げていく中、彼自身の名前も読み上げられます。委員長権限でリストラ対象から外すことができたにも関わらず、誇り高き彼は自分の名前もクジに入れていたのでした。ミシェルは、妻マリ=クレール(アリアンヌ・アスカリッド)に、自分がリストラにあったことを告げます。妻は戸惑いながらも、気骨溢れる夫を誇りに思っていました。2人の結婚30周年を祝うパーティーが行われ、リストラされた社員も含めた多くの仲間が招待されました。孫たちの合唱『キリマンジャロの雪』と共に、夫婦の長年の夢だったアフリカ・キリマンジャロへの旅が家族からプレゼントされました。しかし、このサプライズが彼らの人生に思わぬ事態を招いてしまうのでした。。。ミシェルとマリ=クレールが、ドゥニーズ(マリリン・カント)とラウル(ジェラール・メイラン)の妹夫婦たちといつものようにカードゲームに興じていたある日の夜、突然マスクをした強盗2人に押し入られるのです。強盗は金品と共にキリマンジャロ行きのチケットを奪っていきました。まじめに善良に生きてきたのに・・・なぜ自分たちがこのような目に遭うのか、と悲しみに暮れるミシェルたち。ドゥニーズは事件をひきずり、日常生活を送れなくなってしいました。ラウルはそんな妻を見て、犯人への憎悪が膨らんでいくばかり。数日後、犯人の1人が、ミシェルと一緒にリストラされた青年であることが判明し、ミシェルとマリ=クレールは大きなショックを受けるのでした。しかし、青年が幼い弟2人を養い、借金と生活苦に行き詰っての犯行だったことが、やがて明らかになるのです…。

ミシェルは強盗を働いた青年に年端も行かない弟が2人いることを知ると、青年に対する告訴を取り下げてしまいます。ラウルは強盗事件をきっかけにドゥニーズが病に倒れたのに、告訴しないということに怒りをあらわにしますが、ミシェルは告訴は取り下げます。しかし、刑事事件で犯人が逮捕されている以上、ミシェルの思いとは関係なく青年は裁判にかけられます。妻のマリ=クレールも青年の現実を知ると、ミシェルには内緒で弟たちの面倒を見始めることをはじめました。そして最終的に2人は青年の弟たちを、彼が刑務所から出てくるまで引取ろうと決めてしまうのです。もちろん、自分たちの子どもたちからは反対されますが、耳をかしません。

マリ=クレールは看護学校を辞めてミシェルの妻になったこと。今回子供たちを引取ることを決めたこと。全て自分で決めたことでその人生を後悔はしていないし、むしろ「昔も今も自分の人生が好き」と断言します。その態度には、人がどう思おうと関係ない、自分の気持ちに嘘をつかずに生きること、そんな人生を生きてきてこれからも生きていく。そんな潔さの妻を持つミシェルも、子どもを引き取ろうとする妻の考えと一致します。ラストの防波堤でのシーンでその姿を描いていますが、綺麗な映像と徹底した善意を貫き通したラストに、気持ちよさ心地よさを感じます。映画の最初で、ミシェルがリストラされて戻ってきた時と同じ意味合いを含んだラストになって、夫の選んだ人生と妻の選んだ人生が自然に一致します。この夫婦は、人生を共有できるパートナーがいる。それはなんと幸せで幸福なことなんでしょう。

2011年に制作されたフランス映画の『キリマンジャロの雪』ですが、『キリマンジャロの雪』といえば、アーネスト・ヘミングウェイの『キリマンジャロの雪』(The Snows of Kilimanjaro)ではないでしょうか。

短編小説は1936年に発表されましたが、この作品が発表されるまで七年間ヘミングウェイは二つのルポタージュしか発表していません。1929年に長編小説『武器よさらば』で高い評価を得てもちろん商業的にも大成功をおさめた作品発表からの七年間。。その時期は同時に、アメリカに端を発した未曾有の大恐慌が起こり、ジャズ・エイジとも呼ばれた自由奔放な1920年代が終わりを告げた時期でもあります。ヘミングウェイ自身にとっても、1928年に父親の自殺に続いて、1930年には交通事故で重傷を負い、さらには1934年アフリカ狩猟旅行中にアメーバ赤痢にかかるという一連のできごとを通じて、死を間近で体験する時期でもありました。

そうした変動の時期を経て、1936年、七年間の沈黙を破って発表されたのが『キリマンジャロの雪』です。小説自体は短編小説のため、キリマンジャロの麓で死にかかった作家(ヘミングウェイ)の、過去の回想というより、断片的な記憶の甦りが妻との会話の形であっさりと綴られている自伝的内容ですが、1952年に発表された『キリマンジャロの雪』は『慕情』のヘンリー・キングが映画化しました。短編小説から、ヘミングウェイ的世界観を解釈しつつ、また観光的な要素も取り入れて、二時間映画に仕上げています。

「標高5895メートル、雪に覆われたキリマンジャロはアフリカ最高峰の山である。西の頂上付近に干からび凍った豹の死体がある。豹が何を求めてこの高さまで来たのかは謎のままだ」

上空を禿たかが舞っています。アフリカの最高峰キリマンジャロの麓に、妻ヘレン(スーザン・ヘイワード)を連れて狩猟に来ていた小説家ハリー・ストリート(グレゴリー・ペック)は、脚にうけた傷が壊疽になり、明日にも知れぬ命になりました。テントの外の瀕死の床でヘレンの看護をうけながら、ハリーは自分が今まで歩んで来た波乱の人生を思い出していました。

主人公ハリー(グレゴリー・ペック)は両親を早く失い、叔父に後見されながら作家を志していまました。最初の恋人と別れた時に、叔父は本物の作家にあるには狩りを参考にしろとアドバイスし、猟銃をプレゼントしたのでした。シカゴで、初恋の恋人との別れから、ハリーの世界を旅にする放浪がはじまります。やがて新聞社の特派員としてパリに渡ったハリーはモンマルトルの行きつけのバーでモデルをするシンシア(エヴァ・ガードナー)と出逢います。シンシアは軍人だった父の遺骨を引き取りにパリにやってきたまま、パリに住み着いたのでした。二人は同居するようになりシンシアをモデルに処女作を発表しました。

シンシアはこの小説の前金でパリで住みましょう。と言いますが、ハリーはアフリカに狩猟に行こうというのでした。ケニアで大きなサイを仕留めたハリーは幸福に酔っていました。そんなハリーを見て、シンシアは妊娠したことを言い出すことは出来ませんでした。本の残りの印税が届いたからパリに戻ろう。というシンシアに、ハリーは闘牛を見にマドリッドに行こうと言うのでした。ハリーは世界中を旅して題材を求め、本物の作家になりたいというハリーに対して、結局シンシアは妊娠を言い出すことができず、自らわざと階段から落ちて流産してしまいました。ハリーとスペインの闘牛見物にでかけても、彼女の心は晴れませんでした。そんな時ハリーにシリアでの紛争の取材の仕事が来ました。シンシアを危ないから置いていくというハリー。パリに戻って安定した生活を望んでいたシンシアは、ハリーにこれ以上ついていけないというのでした。そして家庭を持って落ち着きたい私に気があるフラメンコダンサーについていくとからむのでした。ハリーは意を決して仕事の断りの手紙を出しに席を外しましたが、席に戻るとシンシアはフラメンコダンサーと姿を消してしまっていました。

新聞社の仕事を終えて、新作を発表したハリーは人気作家へとなりました。フランスのリヴィエラでは、シンシアを忘れるためのようにと思えるほど、富裕層と享楽的な生活に浸り、伯爵令嬢リズ(ヒルガード・ネフ)と出会いやがて、恋に落ちました。しかしシンシアと間違えて現妻ヘレンに声をかけてしまうほどシンシアを忘れることが出来ずに、遂にシンシアに手紙を出しました。シンシアからの返信をリズはハリーの目の前で引き裂き、ハリーはリズを捨てシンシアから手紙が来たマドリッドのホテルに向かうのでした。そして、シンシアが人民戦線軍のドライバーとして働いていることを知ったハリーはスペイン内戦に参加します。戦地でようやく再会した時、シンシアは重傷を負っていて再会を喜ぶまもなく担架で運ばれ死んでしまうのでした。その後パリに戻ったハリーは偶然ヘレンに再会します。シンシアを永遠に失った心の傷を癒したのが、未亡人ヘレン(スーザン・ヘイワード)です。ハリーは彼女に亡きシンシアの面影を見つけ、結婚します。やがてハリーはヘレンの献身的な愛に安らぎを得て、魂の放浪に終止符を打つことになりました。

そして叔父の遺言であるキリマンジャロの頂上を目指し力尽きて死んだ豹はなぜ頂上を目指したか。を探るため再びケニヤにやってきたのでした。ハリーは瀕死の床で過去の人生を思い返すことによって、一匹でキリマンジャロの頂上を目指した豹の気持ちとは、まさにこの孤独で妥協することなく真実を目指す。という本物の作家の気持ちだということに、ようやく気付くことができました。ハリーはヘレンの助けによって、遂に真の作家を目指すという人生の目的にたどりつけたということです。結局、自分に必要な女性はシンシアではなくヘレンだということにも死の間際になって気づくのでした。内助の功があって二匹であれば豹も頂上までたどりつけたかもしれない。ということにも。

ハリーが人生で本当に愛したのはシンシアだけだったと思います。シンシアは美しく男が守ってやらねばならない弱い女。弱い女を守りたいという気持ちのマッチョのハリーにとっては理想の女性だったといえます。一方のヘレンは精神的にも強く狩猟も得意。そして、経済的にも自立しているため男に頼る必要もない。自立した女であるヘレンは、ハリーと似たタイプの女性だといえます。ヘレンを愛して結婚したのではなく、シンシアと似ていたからハリーは結婚しました。しかし、ヘレンは我慢強くハリーがシンシアを愛しているのを知りながらも、いつかハリーが振り向いてくれると信じてハリーをその献身的な愛で包み込みました。名声に溺れて駄作の多くなったハリーのために隠れて出版社と交渉までも行っていました。瀕死で投げやりになるハリーを励まし続け、ハリーの傷の切開を自ら行い、遂には若いときに叔父に言われた本当の作家になるという目的をハリーに思い出させることに成功しました。そして、死の床でヘレンが自分を作品や自分の何かの誇示のために愛しているのではなく、「ただ愛しているからそばにいてくれている」ということに気づき、自分にはシンシアではなく、ヘレンが必要な女性だと気付くのでした。

この作品は、新聞社の特派員としてパリに長く滞在したヘミングウェイ自身の体験に基づくパリのナイトライフやケニヤでのサファリなどが描かれ、「失なわれた世代」の時代の作家や画家などの芸術家達の生活を垣間見ることができます。「失なわれた世代」の代表的作家であるヘミングウェイ。「失われた世代」(『駄目な若者たち』という含意味)とは、生きる意味を見い出せずに、アルコ-ルやセックスに走る刹那的生活を送る世代のことを指しています。他にアメリカ人作家スコット・フィッツジェラルドもまた「失われた世代」を代表する作家です。スコット・フィッツジェラルドを代表する作品は、1925年に発表された『グレートギャツビー』ですが、1920年代の好景気の終わりとともに、小説家としての活躍時期を終えてしまったことで有名です。それに対し、ヘミングウェイは1960年代まで活躍を続けます。しかし、ヘミングウェイも、フィッツジェラルドと同じように心の中はあらかじめ失われていたのかもしれません。そんな結果が、彼の悲劇的な最後に現れているように思えてなりません。

ヘミングウェイは、マッチョなヒーロー(実際体格もマッチョ。180cmを超える身長に85kg)として未だに人気の高い作家です。そして、彼はアメリカという国(アメリカも巨大)のもつ性格ととても似ているともいえます。似ているゆえ、アメリカ国民に愛されているのだと思います。人懐っこく誰とでも親しくなるかと思えば、お節介なほど他人に口出しをして、敵と見ると徹底的に攻撃を仕掛ける。ヘミングウェイの性格そのままにアメリカという国ではないでしょうか。

ヘミングウェイが愛したものは、釣り・酒・女・狩猟。そして、一番情熱を傾けたのは文学です。自分の求める文章を書くために、旅に出て狩りをしたり恋をしたり・・とハードボイルドな人です。彼自身、「男とはこうあるべき。ワイルドでいなくてはいけない。」このように、思っていたのではないかと思います。男らしさを表現するために、彼は情熱を傾けていったのではないのではないか?!と思えます。(あえて女性関係もヘミングウェイにとっては趣味の延長)ある意味、とても分かりやすい単純な人ともいえると思います。

そんなヘミングウェイの女性関係は、やはり賑やかです。3度離婚して4度結婚した人です。慰謝料を払えるだけの甲斐性があるのも、売れっ子作家ならではでしょう。アフリカでのハンティングの話や、いろいろな土地での経験など、話題豊富なヘミングウェイに女優たちも魅せられていったのでしょう。あの恋多き女といわれたマレーネ・デードリッヒとも浮名を流しました。ヘミングウェイを彼女を「クラウト」と呼び、マレーネ・デートッヒは「パパ」と呼びました。恋多き彼女が、ベッドを共にしなかった数少ない男性の親友と言われています。

ヘミングウェイ自身の、数々の浮名彼の狩りや戦争、それに恋にかけた情熱は、彼の異常なまでの攻撃的性格の表れでもあるように思えます。もしかすると、彼にはそうならざるをえない理由があったのかもしれません。

ヘミングウェイが自殺したのは有名ですが、彼の父親も自殺しています。糖尿病や投資の失敗による経済的な破綻を苦にしての自殺と言われています。アメリカン・ドリームの典型とも思えるヘミングウェイの人生は、実はスコット・フィッツジェラルドの悲惨な人生のマッチョ版だったのかもしれません。ヘミングウェイは経済的な成功がスコット・フィッツジェラルドを駄目にしたと書きました。また「失われた世代」と共に生きたスコット・フィッツジェラルドのマッチョ版がヘミングウェイではないでしょうか。見た目も線の細いフィッツジェラルドの正反対で、大きな体格のヘミングウェイですが、精神的な面では類似点が多々見られます。二人とも米国中西部の中間層家庭で生まれていて、親に対する反感が大きいまま大人になりました。そして、若い時の失恋の傷を文学的な動力にしました。お酒に溺れてアルコール依存症患者になったという点も共通点です。フィッツジェラルドもアルコールが手放せず、どんどん健康状態が悪化していく中で心臓麻痺を何度か起こし、1940年に愛人のアパート心臓麻痺で44歳で死亡しました。

ヘミングウェイ自身も、また自らの挑んだ危険な冒険の代償として心と身体に傷を負い、死へと導くことになってしまったと思います。3回の離婚と4回の結婚をしましたが、ヘミングウェイの作品には彼自身の新しい恋と新しい妻がセットになっているかのように思えます。新しい作品を書くために、刺激的な日常を送らなくてはならない。と自分自身を追い込んでいるようにも思えます。それは精神的な彼の病だったとする説も実際あるようですが、それこそが彼の創作におけるエネルギー源だったのもこれまた事実です。若い時ならば刺激的な生活も、おもしろおかしく送っていけるでしょうが、そのような日常を過ごし続けることによって、だんだんと体力も衰えるのに足を揃えるかのように、彼自身も急激に創作意欲を失い、精神のバランスをも失っていったのかもしれません。激動の1930年代はそんなヘミングウェイにとって刺激に不足することのない時代でした。戻った彼にはすぐに次なる挑戦のチャンスが待っていました。しかし、自らの望む夢のためにとことん人生をつぎ込んだからこそ、彼らが生み出した作品には時代を超えて人に感動を与える魅力があり、説得力もあるといえるでしょう。ある意味心も身体もボロボロにし、時代と共に生きたからこそ生まれたヘミングウェイの文学。これこそがヘミングウェイ文学最大の魅力だと思います。

ヘミングウェイのデビュー1923年「三つの短編と十の詩」( Three Stories and Ten Poems) という作品集で作家としてデビューを果たしますが、その作品では全く注目されていません。彼が注目されるようになるのは、翌年に発売された短編集「われらの時代」(in our time )からで、その後1926年に発売された長編小説「日はまた昇る The Sun also rises」によって彼の名はロスト・ジェネレーション(失われた世代)の代表作家として世界中に知れ渡ることになります。

1925年、ヘミングウェイはフィッツジェラルドとパリで出会います。その時すでに4歳年上のフィッツジェラルドは作家として名声を築いていました。そのフィッツジェラルドから強い推薦で登壇することになりました。(自分をデビューさせてくれたフィッツジェラルドを後に攻撃するのも、ヘミングウェイの攻撃的な一面)「われらの時代」は虚無的で享楽的な現代の若者像をストレートに描いたこの作品ですが、パリでの彼の生活とまわりのアメリカ人たちをモデルにして描かれていました。そうした若者たちの生き方をストレートに描いたこの作品は、当時歴史上初めて生まれようとしていた「若者たちの文化」を世に知らしめ、その影響は世界各地の若者たちへと広まってゆくことになりました。それは「フラッパー」と呼ばれ、お金と暇のある都市部の新しい若者層が求めている世界観を描いたものです。(同じように新しい若者たちの姿を描いていたのがスコット・フィッツジェラルド)

ヘミングウェイ自身もまた作品と同じく、私生活は自由奔放。最初の妻ハドリー・リチャードソン(無名時代の彼を支えた)と結婚していました。そんな既婚者でありながらハドリーより若くて魅力的な、「ヴォーグ」誌のファッション担当記者のポーリーン・ファイファーと付き合い始めると、信じられないことに妻とともに旅行に連れ歩いていたといいます。そんな生活に嫌気が差した妻とは「日はまた昇る」の印税をすべて譲ることで円満に1927年1月に正式に離婚しました。そして、その不倫関係にあったポーリンとは、1927年5月10日にパリで正式に結婚しました。ヘミングウェイは二度目の妻となったポーリンと、パリからフロリダ州のキーウェストへと住みかを移して、今までとはまったく違う新しい生活を始めました。(その頃に「失われた世代」といわれた時代も終焉しました)

ヘミングウェイは時代の波に見事に乗ったといえるでしょう。そして、1929年、彼の2作目の長編小説「武器よさらば」がスクリブナーズ・マガジンに連載され、その後単行本として発売され大ベストセラーとなりました。この作品によって時代の寵児といった流行作家から変化を遂げ、いよいよベストセラー作家の仲間入りを果たすことになりました。

アメリカンドリームな生活を体現しているヘミングウェイ。 女性遍歴などをみると、生い立ちになにか理由がありそうです・・・4回結婚することになったヘミングウェイ。

奥さんが変わると住むところも変わり、作品も発表されていきました。4回の結婚別にヘミングウェイの人生を年表分けしてみましょう。